9/11-たまにはいろいろ書いてみます(長文)

9/11-たまにはいろいろ書いてみます(長文)


すこし時期がずれてしまいましたが、

みなさんはあの日何をしていましたか?

2001年9月11日



そこで僕が思ったのはやっぱりなぜ人がこんな事をするのかという事。



テロで自分の命をぶつけた人も
それで亡くなってしまった人も。

今からもう4年も前の話です。(この文章を書いた時です。)
なんだかイメージ的にはもっと昔にあったような気もします。




そう、同時多発テロ。
あれが世界に衝撃を与えたのは言うまでもなく事実です。






その時僕はとクロアチアのドブロブニクにいました。
そこは「魔女の宅急便」の街のモチーフとなったところといわれる
ものすごいふるい町並みが残っている所です。


僕がテロのことを知ったのがドミトリーに入ってきたポルトガルのにぃちゃんからです。










その日の朝、寝ぼけながら顔を洗って部屋に戻ると
ポルトガルから来たという二人の青年が僕の部屋に入ってきました。

適当な挨拶をするとそのうちの一人が開口一番こう言いました。






「アメリカのペンタゴンに飛行機が突っ込んだのを知ってるか?」











僕は、はぁ?という顔をして、

「じょーだんだろう?そんな事しらないよ」 と返しました。
するともう一人が笑いながら「それじゃTVを見てこいよ」と返します。
「ありえないぜー、うそつくなよー」


といいながらも、まさかと思ったので興味本位でその宿の1FにあるTVの前に行きました。

















TVから流れる映像に 絶句です。





飛行機がビルに突っ込む瞬間の映像が流れていました。



しかも字幕、TVからながれているニュースキャスターの話し声はすべてクロアチア語。
まったく理解できません。






しばらくぼーぜんとし、その映画のようにリアリティのない一場面が
エンドレスで続く映像を見ていました。



なんとなく音声から聞き取れたのが「ニューヨーク」という単語、
そして「ハイジャック」という言葉。


まったく正確な情報がわからない。
これがとっても不安でした。

そして街自体が騒然としているんです。










なぜかというのは明白でした。
クロアチアの人はまた戦争が起こるのではないかと心配だったんです。


なんせつい5,6年前までユーゴスラビアやらと戦争をしている国であり、
つい先日までとなりのボスニアヘルチェゴビナで内戦が繰り広げられている所だったからです。


そのドブロブニクという街の丘には内戦のときに砲撃にあったロープーウエイが
今なおばらばらになって無残に残っていました。









僕は情報を集めようとしたのですが、
そこにはネットもなく、何がどうなっているのか調べようがありませんでした。




なのでその次の日に船でイタリアに渡るチケットを早々に購入しました。

その時にはこの事件はハイジャック事件である事、
アメリカ行きの飛行機が世界中でストップしている事が
わずかな情報ながら入ってきました。





ぼくはその一ヶ月後にアメリカへ飛ぶ予定をしていました。。。。












ドブロブニクから夕方に出航した船は
イタリアのバーリという町へ向かった進みます。


その時に偶然日本人がその船に乗り合わせていました。



男の子一人と女の子一人、
そして偶然にもどちらも僕と同い年でした。



話はすぐにテロのことに及びます。
聞いてみると二人もまったく情報を仕入れていませんでした。


だけど明らかにやばい事が起こっているのは共通の認識でした。













そしてまずイタリアのバーリについて3人で言った所はネットカフェ。
すぐに日本のYahooにアクセスします。





すると「NYでハイジャック!テロの可能性あり。」
というニュースが書かれていました。

それと同時にアメリカ行きの飛行機は全世界中ストップとも。



そこで初めてちゃんとした情報を手に入れることができました。













その日は3人でアルベロベッロという街まで移動し、
何が起こっているのだろうと思案しながら色々と話していました。

ぼくら3人はいわゆるバックパッカーでお互いに一人旅でした。



だから様々な情報に敏感になっています。


男の子のほうはこれからローマに行き、飛行機でロシア経由で帰るといっており
飛行機が飛ぶか心配していました。



女の子ももうすぐ日本に帰るという事だったので、飛行機が飛ぶかどうか、
それを心配していました。




僕はパリからアメリカへ飛ぶ予定だったので一番困りました。
アメリカ行きの飛行機がいつ再開するかまったくわらかなかったからです。






その時にそのアルベロベッロという街のお土産やさんで偶然日本人で
イタリアに嫁いだ女の人と会う事ができました。

彼女はイタリア語がわかるのでここ数日イタリアで報道されている事を
つぶさんに教えてくれました。

それはやっぱりテロであるという事、
多発的に起こったという事。



「イタリア人はおおげさだからみんな第3次世界大戦がおこるよ~っていってるの」

とかあまりしゃれにならない情報もいただきました。(笑)












その後僕は西ヨーロッパをうろつき、アメリカへ飛びました。

厳重な入国検査(個室に連れて行かれました)をなんとかつたない英語でやりぬけ、
その後3ヶ月アメリカに滞在した感想ですが、






町には星条旗があふれ、
ヒトビトには傷ついた面持ちで愛国心を鼓舞していた気がします。



僕がいたのはアメリカの片田舎で
日常はあくまで日常だったと思いますが、


ニュースからは連日テロ関連の報道が流れ、
人たちはどこか気にかけてた面持ち。




そこで思ったのはやっぱりなぜ人がこんな事をするのかという事。



テロで自分の命をぶつけた人も
それで亡くなってしまった人も。




時間がたてばまた風化していく出来事なのかもしれませんが、
またそれをとめる事も難しいのかなと思います。






僕はパキスタンに行ったときにイスラムの人のやさしさに触れた事があります。
それと同時にアメリカを好きではない事も知っています。





宗教が違う、宗派が違うで最近イラクでは小競り合いが起こっているようです。










日本という国はほぼ違いがない国です。
違いが摩擦を生んでしまう環境じゃないから
いまいちイメージしにくいですが、








あくまで奇麗事だけど、
違いは受け入れるべきなのかなぁと。



沖縄はある意味ちゃんぷるーが得意なので
違いを受け入れることが重要じゃないかなぁ~。





でも人は同じを好み、違いを遠ざけようとします。

受け入れるって事、これからとっても重要になってくるんだろうなぁと僕は思います。




ちょっと~主旨が弱い長い文でしたが、
 読んでいただきありがとうございました(^^)!


※追記 映像







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この記事へのコメント
だーしゃさん、こんにちは。

2001年のあの頃
私は娘を妊娠中でした。
家族、というつながりを特に敏感に感じていた頃です。
自分と両親、そしてお腹の子のこと。
妊娠してからは、強く温かい絆を考えさせられることばかりでした。

あの事件の日、やはり考えたのは
TVに映っている人たちのみんなの家族のこと。
誰も1人では生きてくることも生きることは出来ないのにって。
目の前の映像が映画のように見えてでも悲しくて
ただ涙が流れていくばかりでした。

海外に行ったことがなく、視野が狭いなかで
私の考えは甘いのかもしれません。
でも「受け入れること」それに共感します。
長くなってしまい失礼しました。

Posted by けいchun at 2005年09月17日 11:24
完読。
時には、写真がなく文章だけっていうのもいいですね。

世界を巡って旅しただーしゃさんのあの日は、旅の途中だったんですね。

ところで、日本ではもうひとつ9.11。
総選挙の選挙結果って、ちょっと恐くありません?

こんなに簡単に操作されちゃうんだなって、
あらためて思いました。

http://sansin.air-nifty.com/simauta/2005/09/post_d675.html
Posted by KUWA at 2005年09月17日 12:17
その日は、友人の送別会で、居酒屋にいました。

席から離れて、テレビに釘付け。音声は聞こえなくて・・・。

最初は、合成による映像かと思っておりました。



それが違うことがわかり、何がなんだかわからなくて。
とりあえず、その場を後にして社員寮に帰りテレビをつけました。


それから4年。
戦争は・・・。何を変えたのでしょうか?
多くの命は、何を伝えることができたのでしょうか。

違いを受け入れることができるというのも、文化的な考え方なのでしょうね。
日本人は相手の意見を尊重し、相手の文化を受け入れなければ成らないという考えをもつことができます。それすら文化のような気がしてなりません。

一人一人がいい人達で、世界を破壊したいわけではない、家族を守るために頑張っているだけだと分かっているはずなのに、助けてあげることができないことがもどかしいです。
自分に与えられた土地だけで生きていくことができないのが人間。だから生まれる葛藤・・・。いつか平和な日は訪れるのでしょうか?
Posted by 沙羅 at 2005年09月17日 13:46
あれから4年なんですね。
わたしは確か具合悪くてアパートで寝ていて、一日中TVに釘付け。
でも繰り返し流れるあの映像を見ているうちさらに具合が悪くなってしまいました。

その後、沖縄の基地には日本の警官がやってきて
米軍ゲートを守るように、日本人に向けて立っていた
あの光景は忘れられません。

その後ろで実弾入りのライフル銃をもった米兵がいつもより厳しい警戒態勢だったことも
その実弾の射程距離を毎日通勤したことも
魔よけの塩を白い粉だと誤解されて知人がMPに逮捕・尋問されたのも。
風化するような記憶じゃないですね。

だーしゃさんはあの期間、アメリカでその空気を感じていたんですね。
Posted by pyo at 2005年09月17日 17:28
だーしゃさん★彡

2001/9/11
その日沖縄は台風の影響を受けて天気が悪かったですね

ちょうどセミナー会場で台風情報をみながら受けてました
その後ボウリング→飲み会(はしご)して帰宅してTVつけたら
ちょうどニュースしてました

その日変な気分でTVつけたまま眠りました

Posted by rossi at 2005年09月17日 23:54
長文読ませていただきました。
考えさせられますね、アメリカはわがままなジャイアン
かなとも思いますが、あのテロで犠牲になられた方や
ご家族の事を考えると重い気持ちになります。

映画「オデッサ・ファイル」の始まりの場面のように
(この時はケネディーの暗殺をカーラジオで聴く)ある大きな
事件は世界中の人が「あの時、どこで何をしていたか」を
覚えているものなんですね。

それにしてもだーしゃさん、旅行記を本にまとめられたら
いかがですか?
Posted by 江戸っ子 at 2005年09月18日 11:23
だーしゃさん 初めまして ペンキ屋の マスチックたかです。

クロアチアに行かれたんですね〜 凄い...

同時多発テロは ホントに 普段の日常で 起こりえる威嚇ですよね。

アメリカは マスメディアが 確りしていて 世界中に 情報を配信し 被害状況などを詳しく知らせますが その他の国々「後進国など」は なかなか現地の状況を詳しく知らせるまでには いたっておりませんよね。

アメリカは 自国の悲惨な状況などは 詳しく伝えるのに 先の イラク戦争や アフガニスタン ベトナム ...などの 状況は ほんの少しの 報道のみ...
インターネットや 書物などで 読んだり見たりしたら 恐ろしい状況が知らされていたりします。
うまく 伝えられませんが 世界中の国々の人が 同じ星「地球」に住んでいる限り 同じ 状況を知り 苦しみを理解しあえる世の中に なって欲しいと 願います。

だーしゃさんの様に 世界中を旅して 現地の雰囲気を 肌で感じる事を 羨ましく 思います。

今後の ご活躍 期待しております。
Posted by マスチックたか at 2005年09月18日 15:40
こんばんは

アメリカのテロももちろんですが、今も日本も含め世界中で犯罪・殺人が起こっているというのがものすごく寂しいですね

違いを受け入れる
受け入れると一言で言うことは難しいかもしれませんが、私もものすごく大切なことだと思います。

人・地域・国・民族には様々な文化や思想があると思います。
何でも自分のものさしで、自分の価値観に当てはめようとするからいろんな争いごとも起こるのかなぁ、って思いますねぇ

自分もそうならぬよう気をつけなければなりませんねぇ


Posted by アワモリ at 2005年09月19日 01:30
いつかはこのような危険な日が来るのではと、、、
原子力発電所辺りが危ないと思っておりましたが、タワーがやられるとは予想しておりませんでした。
戦争をやれば必ずその反動はあるもんです。

ベトナムで多くの国民が犠牲になっても、人は時間と共に忘れていくんんですね。
地球温暖化!この大きなテーマが人類に待ち受けております。
国家エゴやってる場合ではありませんけどね、、、残念です。

Posted by 源氏パイ at 2005年09月19日 13:54
■けいchunさんへ

こんにちは、ながい文を読んでいただいてありがとうございます。
その時妊娠されていたんですね。
家族の絆ってやっぱり大切なものですよね。

人が一人いるって事は多分家族が要るって事です。
確かに色々と考えると悲しい事もありますが、
受け入れる事とか、大事にしていきたいですね。




■KUWAさんへ
コメント有難うございます。
たまに文を書くと撮りとめもなくなってしまいますけどね。。

あの時はヨーロッパで右往左往していたときでしたよ。
そして今回の選挙もまた9/11ですか、
これは言われるまで気がつきませんでした。
何かのターニングポイントなのでしょうかね。。

いい方向へすすんでいってもらいたいです。


■沙羅さんへ
コメント有難うございます。
ぼくも最初はうそかと思いました。
でもホントだったのがとってもびっくりで。。。
その後ヨーロッパを放浪してましたけど、
であったアメリカンは暗い顔をしていたりして、ちょっとなんともいえませんでした。

アフガンやらイラクやら戦争はあっという間に通り過ぎてしまいましたね。
変わるって行くのはなんでしょうか。

人の命って軽くもあり、重くもあるのかもしれません。

違いを受け入れる事ほど難しい事はないかも知れませんが、
日本も日本なりに動いていくんだろうなぁと思います。

色々と考えると目の前の家族とか、友人とか
あたりまえの事が大切になるかもしれません。


> 自分に与えられた土地だけで生きていくことができないのが人間。
> だから生まれる葛藤・・・。いつか平和な日は訪れるのでしょうか?

葛藤があるのは多分人間みんなそうだと思います。
僕は今は生まれてきた土地に感謝するのみです。



■pyoさんへ

コメント有難うございます。
もう4年なんですよね。
僕は沖縄にいなかったのでその基地が物々しく包囲され、
米兵がぴりぴりしているのは体験していません。

> その後、沖縄の基地には日本の警官がやってきて
> 米軍ゲートを守るように、日本人に向けて立っていた
> あの光景は忘れられません。

これは微妙ですよね。
ここはどこなのか、正直わかりかねる瞬間です。

> だーしゃさんはあの期間、アメリカでその空気を感じていたんですね。

僕はその時にはアメリカの基地の町にいました。
知り合いが海兵隊を退役した人だったので、基地の中に入れてもらったり
しましたが、物々しさはものすごい物がありました。

「あのヘリはこれからアフガニスタンまで行くんだ。」
とかその知り合いに言われたりして。

アメリカも傷ついたと思います。
なくなった方に黙祷するしかありませんでした。


■rossiさんへ


コメント有難うございます。

その日は台風だったんですね。
そして僕の友達も飲みの帰りだったとか言ってました。

あの衝撃は何かが変わった瞬間なのかもしれません。。。


■江戸っ子さんへ

こんにちは!コメントありがとうございます。

テロの後、アメリカに滞在していて、
色々な話を聞きました。

自分が住んでいた近所の人の親戚にたまたま
貿易センターの中で仕事をしている人がいて、
その人はその時所要で出かけていたために巻き込まれなくてすんだとか。

または、巻き込まれてしまったとか。。

だれしも家族がいると思います。
それを考えると、心が痛みます。

> 世界中の人が「あの時、どこで何をしていたか」を
> 覚えているものなんですね。

多分世界の人が何をしていたのか、
覚えていると思います。

それだけインパクトが強すぎました。


> それにしてもだーしゃさん、旅行記を本にまとめられたらいかがですか?

二十歳のワカゾーがプラプラしていただけの話なので、
とてもとても。。。お恥ずかしい限りですよ。


■マスチックたかさんへ

はじめまして、コメント有難うございます。
その時たまたまクロアチアでした。

テロって日本ではなかなかないと思いますが、
気は抜けないほど身近になってくるかもしれません。

> アメリカは 自国の悲惨な状況などは 詳しく伝えるのに 先の イラク戦争や
> アフガニスタン ベトナム ...などの 状況は ほんの少しの 報道のみ...

ホントにその通りだと思います。
情報は発信されなければ誰にもわからずじまいですからね。。


> 世界中の国々の人が 同じ星「地球」に住んでいる限り 同じ 状況を知り
> 苦しみを理解しあえる世の中に なって欲しいと 願います。

自分が苦しみを知らないと相手の苦しさがわからないのかもしれません。
すべてをというのは難しいかも知れませんが、目の前の人の苦しさはわかって生きたいなぁと思います。

長文にお付き合いいただき有難うございました。
僕自身もっと精進しようと思います。

宜しくお願いいたします。

■アワモリさんへ

こんにちは、コメント有難うございます。

> アメリカのテロももちろんですが、今も日本も含め世界中で犯罪・
> 殺人が起こっているというのがものすごく寂しいですね

人が一人いなくなるってのは、きっと大きな事なんだと思います。
これまでずっと続いた来た事なのかもしれませんが。。

違いを受け入れる。
これはほんとに難しいと思います。
日々の生活の小さな違いですら受け入れる事が難しいですから。
もしかしたら違いから学ぶ事が重要なのかもしれません。

学ぶって事はプラス意識ですからね(^^)
そこに自分との違いからプラスに転換できる何かがあるのかもしれません。


■源氏パイさんへ

原子力にもし突っ込まれていたら、
アメリカは多分アフガンにものすごい爆弾を落としていたと思います。
ただでさえ実験的にとんでもない爆弾を打ち込んだりしてますからね。。

僕はベトナムの事、知らない世代です。
たった数十年前のことも日々忘れ去れてていきます。

地球のトータル的な反動が起こらない事をまずは祈るばかり。

国家のエゴはなぜつづけられるんですかね。。


Posted by だーしゃ at 2005年09月19日 15:43
9/11。あの時あたしはファミレスにいて友達と英語の課題を訳してた。TVを見てた友達が驚いて「見て見て!!飛行機がつっこんでるよ!!」って。全く意味のわからないあたしは「はあ~??」って振り向いてTVを見たけどしばらく何が起こってるのかわからなかった。何かの映画のワンシーンなんじゃないかって思って呆然としてた・・・。

あれからもうそんなに月日が経つんですね。正義を主張し続けるアメリカ。絶対的正義ってなんだろう?そんなものが存在するの?「完全なる」正義や悪が存在するの?
お互いにあるのは自分の大事なもの(家族だったり、宗教、信念だったり)を傷つけられた想いだったり、守りたい想いだったり・・・。根本的なところは一緒じゃないの??どうして相手のことを考えられないんだろうね。人と人のつながりってそれが基本じゃないのかな~~。
平和な世界でありたいですね。
長々とすみませんでしたm(_ _)m
Posted by haru at 2005年09月19日 21:59
■haruさんへ

こんにちは、コメント有難うございます。

だれしもあの瞬間はとってもびっくりしたとおもいます。
僕もほんと映画のシーンかとおもってましたよ。

そして崩れ落ちるビルも。。。

月日がたつのはあっという間です。
そして世の中は変わっていくんでしょうか。

絶対の正義を振りかざしても
机上の空論なのかもしれません。

> お互いにあるのは自分の大事なもの(家族だったり、宗教、信念だったり)
> を傷つけられた想いだったり、守りたい想いだったり・・・。根本的なところは
> 一緒じゃないの??どうして相手のことを考えられないんだろうね。人と人
> のつながりってそれが基本じゃないのかな~~。


僕もそう思いますよ。
違いに線を引くから遠ざかるのかもしれません。

コメントありがとうございました(^^)!


Posted by haru  at 2005年09月19日 23:05
名前まちがい↑

だーしゃでした(^^;
Posted by だーしゃ at 2005年09月19日 23:06
1年前の9月11日に書いた記事をトラックバックさせて頂きました。
4年前の9月11日、僕もだーしゃさんと同じように旅の空の下にいました。
キャンプ場で、犬の散歩をさせていたおばさんに、
テレビを見るように勧められ、山をおりて稚内のデパートにテレビを見に行ったのを思い出しました。
Posted by 芸人 at 2005年09月20日 01:19
芸人さんへ

コメントとトラバありがとうございます。
芸人さんも色々とたびされていたんですよね。
ほんとあの時はびっくりしました。

ある意味テレビってすごいですよね。
違う土地でまったく同じ物をみてるのですから。。
Posted by だーしゃ at 2005年09月20日 23:24
沖縄の国際通りで琉球ガラスで出来ているネックレスを探してるんですけど…
どこの店に行ったらいいですか??
教えてください↑↑
Posted by エイリアン at 2005年10月01日 10:04
エイリアンさん

すいません、ちょっとわからないです。。。。。。
歩いてるときっといいのがみつかりますよ(^^)
Posted by だーしゃだーしゃ at 2012年09月11日 08:21
 
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