9/11-たまにはいろいろ書いてみます(長文)

だーしゃ

2005年09月17日 10:16



すこし時期がずれてしまいましたが、

みなさんはあの日何をしていましたか?

2001年9月11日



そこで僕が思ったのはやっぱりなぜ人がこんな事をするのかという事。



テロで自分の命をぶつけた人も
それで亡くなってしまった人も。
今からもう4年も前の話です。(この文章を書いた時です。)
なんだかイメージ的にはもっと昔にあったような気もします。




そう、同時多発テロ。
あれが世界に衝撃を与えたのは言うまでもなく事実です。






その時僕はとクロアチアのドブロブニクにいました。
そこは「魔女の宅急便」の街のモチーフとなったところといわれる
ものすごいふるい町並みが残っている所です。


僕がテロのことを知ったのがドミトリーに入ってきたポルトガルのにぃちゃんからです。










その日の朝、寝ぼけながら顔を洗って部屋に戻ると
ポルトガルから来たという二人の青年が僕の部屋に入ってきました。

適当な挨拶をするとそのうちの一人が開口一番こう言いました。






「アメリカのペンタゴンに飛行機が突っ込んだのを知ってるか?」











僕は、はぁ?という顔をして、

「じょーだんだろう?そんな事しらないよ」 と返しました。
するともう一人が笑いながら「それじゃTVを見てこいよ」と返します。
「ありえないぜー、うそつくなよー」


といいながらも、まさかと思ったので興味本位でその宿の1FにあるTVの前に行きました。

















TVから流れる映像に 絶句です。





飛行機がビルに突っ込む瞬間の映像が流れていました。



しかも字幕、TVからながれているニュースキャスターの話し声はすべてクロアチア語。
まったく理解できません。






しばらくぼーぜんとし、その映画のようにリアリティのない一場面が
エンドレスで続く映像を見ていました。



なんとなく音声から聞き取れたのが「ニューヨーク」という単語、
そして「ハイジャック」という言葉。


まったく正確な情報がわからない。
これがとっても不安でした。

そして街自体が騒然としているんです。










なぜかというのは明白でした。
クロアチアの人はまた戦争が起こるのではないかと心配だったんです。


なんせつい5,6年前までユーゴスラビアやらと戦争をしている国であり、
つい先日までとなりのボスニアヘルチェゴビナで内戦が繰り広げられている所だったからです。


そのドブロブニクという街の丘には内戦のときに砲撃にあったロープーウエイが
今なおばらばらになって無残に残っていました。









僕は情報を集めようとしたのですが、
そこにはネットもなく、何がどうなっているのか調べようがありませんでした。




なのでその次の日に船でイタリアに渡るチケットを早々に購入しました。

その時にはこの事件はハイジャック事件である事、
アメリカ行きの飛行機が世界中でストップしている事が
わずかな情報ながら入ってきました。





ぼくはその一ヶ月後にアメリカへ飛ぶ予定をしていました。。。。












ドブロブニクから夕方に出航した船は
イタリアのバーリという町へ向かった進みます。


その時に偶然日本人がその船に乗り合わせていました。



男の子一人と女の子一人、
そして偶然にもどちらも僕と同い年でした。



話はすぐにテロのことに及びます。
聞いてみると二人もまったく情報を仕入れていませんでした。


だけど明らかにやばい事が起こっているのは共通の認識でした。













そしてまずイタリアのバーリについて3人で言った所はネットカフェ。
すぐに日本のYahooにアクセスします。





すると「NYでハイジャック!テロの可能性あり。」
というニュースが書かれていました。

それと同時にアメリカ行きの飛行機は全世界中ストップとも。



そこで初めてちゃんとした情報を手に入れることができました。













その日は3人でアルベロベッロという街まで移動し、
何が起こっているのだろうと思案しながら色々と話していました。

ぼくら3人はいわゆるバックパッカーでお互いに一人旅でした。



だから様々な情報に敏感になっています。


男の子のほうはこれからローマに行き、飛行機でロシア経由で帰るといっており
飛行機が飛ぶか心配していました。



女の子ももうすぐ日本に帰るという事だったので、飛行機が飛ぶかどうか、
それを心配していました。




僕はパリからアメリカへ飛ぶ予定だったので一番困りました。
アメリカ行きの飛行機がいつ再開するかまったくわらかなかったからです。






その時にそのアルベロベッロという街のお土産やさんで偶然日本人で
イタリアに嫁いだ女の人と会う事ができました。

彼女はイタリア語がわかるのでここ数日イタリアで報道されている事を
つぶさんに教えてくれました。

それはやっぱりテロであるという事、
多発的に起こったという事。



「イタリア人はおおげさだからみんな第3次世界大戦がおこるよ~っていってるの」

とかあまりしゃれにならない情報もいただきました。(笑)












その後僕は西ヨーロッパをうろつき、アメリカへ飛びました。

厳重な入国検査(個室に連れて行かれました)をなんとかつたない英語でやりぬけ、
その後3ヶ月アメリカに滞在した感想ですが、






町には星条旗があふれ、
ヒトビトには傷ついた面持ちで愛国心を鼓舞していた気がします。



僕がいたのはアメリカの片田舎で
日常はあくまで日常だったと思いますが、


ニュースからは連日テロ関連の報道が流れ、
人たちはどこか気にかけてた面持ち。




そこで思ったのはやっぱりなぜ人がこんな事をするのかという事。



テロで自分の命をぶつけた人も
それで亡くなってしまった人も。




時間がたてばまた風化していく出来事なのかもしれませんが、
またそれをとめる事も難しいのかなと思います。






僕はパキスタンに行ったときにイスラムの人のやさしさに触れた事があります。
それと同時にアメリカを好きではない事も知っています。





宗教が違う、宗派が違うで最近イラクでは小競り合いが起こっているようです。










日本という国はほぼ違いがない国です。
違いが摩擦を生んでしまう環境じゃないから
いまいちイメージしにくいですが、








あくまで奇麗事だけど、
違いは受け入れるべきなのかなぁと。



沖縄はある意味ちゃんぷるーが得意なので
違いを受け入れることが重要じゃないかなぁ~。





でも人は同じを好み、違いを遠ざけようとします。

受け入れるって事、これからとっても重要になってくるんだろうなぁと僕は思います。




ちょっと~主旨が弱い長い文でしたが、
 読んでいただきありがとうございました(^^)!


※追記 映像





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